
今朝、いつもの天白川沿いを歩いていた。
川の流れを眺めながら歩いていると、道の上に何かが横たわっているのが目に入った。
近づいてみると、ウグイスだった。
ついさっきまで飛んでいたのではないかと思わせるほど、そこに突然、命が途切れたように横たわっている。
ピクリとも動かない。
「どうしたんだ……」
思わず足を止めた。
そして、その少し先には、今度はセミが横たわっていた。
夏の盛りを象徴するように、あれほど大きな声で鳴いていたセミが、静かに道端にいる。
そして、さらに歩いていくと、柿の木の並木が続いていた。
その途中、路上にまだ青い柿の実が一個だけ落ちていた。
木から落ちたばかりなのだろうか。
まだ熟してもいない青い実が、誰にも拾われることなく、道の上にポツンと転がっている。
ウグイス、セミ、そして青い柿。
今朝、わずかな時間の中で出会った三つの光景だった。
鳥は飛び、セミは鳴き、柿の実はこれから色づいていく。
一方で、道には動かなくなった命がある。
同じ朝の、同じ道の上である。
何とも不思議な気持ちになった。
命には、それぞれの季節がある。
生まれ、育ち、盛りを迎え、そして静かに終わっていく。
けれど、終わる命がある一方で、まだ青い柿の実のように、これから熟していく命もある。
人生も同じなのかもしれない。
66歳になった自分も、これまで歩いてきた道を振り返ることが多くなった。
母のこと、仕事のこと、これまで出会った人たちのこと。
そして、これから自分は何を残していけるのだろう、と考える。
今朝の三つの出会いは、偶然だったのかもしれない。
けれど、なぜか心に残った。
ウグイスは「命には限りがある」と教えてくれたように思う。
セミは「今を精一杯生きること」を。
そして、まだ青い柿は、「まだこれからだ」と言っているように感じた。
天白川の朝は、いつもと変わらず静かに始まっていた。
私はまた歩き始めた。
川の流れに沿って、一歩、また一歩。
今日という一日も、まだ始まったばかりだった。

コメント